建築を主軸に工芸、AI、ロボットなど他分野の技術を持ち込むことで建築論理の解体、再構築をテーマに活動しています。形態は機能に従う、モダニズム期に唱えられた、非常に有名なマニフェストですが、その前提がタブララサにあるのではないかと考えます。ラテン語で「何も書き込まれていない石板」を意味するこの言葉は『人間悟性論』(1689)においてロックがまっさらな白い紙になぞらえて使用し、デザイナーが何かを描き始めるのに非常に便利な概念として援用されてきました。建築も例外ではなく、いつも建築が始まるとき、このタブララサを前提にして、敷地はいつもまっさらに造成され、あたかもタブララサが用意されていたような状態からスタートします。そして形態が機能に従っている限り、どのような提案もあたかも説得力があるようにプレゼンされた。ところが現代、特に成熟した都市部においてこのタブララサを発見することは至難の業です。どこもかしこも建物にあふれ、その前提は不自然に思えてなりません。そんな造成された土地を見るたびに感じる切実な疑問から、他分野の視点を持ち込むことで、建築の前提を再考できないかという仮説を立てました。この仮説を実証、実装していくための手法として、非人間、つまりコンピュータやロボットまでも含めた視点を導入することを試みています。例えば、3dスキャニング技術は人間にはとらえきれない複雑な都市の表面を提示してくれますし(Ground Truth参照)、ロボットの導入は新しい施工方法の提案を(Intuitive Robotic Plastering参照)、また、AIの登場はプロセスの最適化を促進します(Ground Truth参照)。これら複数の視点を持ち込むことは、建築を構成する論理を解体する契機となります。そしてその再構築には、建築の意匠設計から材料・構造計画(Liquid to Solid参照)、さらにはその施工の方法を取りまとめる、一貫したプラットフォームを必要とします(光恩寺弁天堂参照)。異なる分野の建築的な視点を持ち込むことで、多様で複雑な情報の総体として建築を再構築する可能性を模索しています。そしてこの手法は建築の前提を、つまりそのスタート地点をタブララサ(まっさらな白紙)から、既に存在する”いまここ”の世界にシフトすることができる。そうすることで、今ある世界から作り始めた結果が次の世界の始まりになっていく。そんな螺旋状の持続可能な建築文化の醸成。それが現在の私のクリエイターとしての切実な願いです。